国際金融公社(IFC)  日本人職員の貢献

日本人職員の貢献 (豊田牧子)

豊田 牧子 / Makiko Toyoda
IFCシニア・トレード・ファイナンス・オフィサー
(ワシントンDC本部勤務)

 

  慶應義塾大学経済学部卒
ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院修士号取得
1992年 日本興業銀行入行
1997年 ドイツ復興開発金融公庫に出向
ドイツ興銀に出向 ロシア東欧融資を担当
2001年 欧州復興開発銀行 中央アジア局
2003年 IFC東アジア局
2006年 IFC国際金融市場局
2010年 IFC国際倉荷証券プログラム担当
IFCは国際社会に貢献するチャンスを与えられる

私の国際機関への転職は、日本興業銀行勤務時代、ロシアのある案件に融資できないことがわかり茫然とした経験が原点になっています。ロシア金融危機直後だったために、どうしても興銀単独では融資できないと判断、協調融資を提案するためにロンドンに本店がある欧州復興開発銀行に往訪したのは1999年のことでした。約3ヶ月の交渉を経て、その案件は成立、民間銀行では限界があることも国際機関が関わることで初めて可能になる現場を目の当たりにしたのが、私の人生の一つの転機となりました。

IFCに転職して8年目に入りました。国際機関が介入することによって途上国での市場発展を可能にする-IFCは国際社会に貢献するチャンスを与えられる魅力的な職場だと思います。

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欧州開銀時代、カザフスタンで倉荷証券案件に携わったのですが、その後、IFCに入社して5年経ったころ倉荷証券はアフリカで貧困削減に貢献できる商品ではないかと思い始めました。エチオピアでコーヒー生産者協会を訪れたときのことです。そこに同席していた農民はだれも銀行から借り入れをしたことはなく、エチオピアの民間銀行では農業セクター向けの貸出は5%に満たないことを知りました。-民間銀行が倉荷証券を担保に農民に貸し出せないか。カザフスタンでは、それまで金融機関に足を踏み入れたことがなかった小麦生産者が、国際機関が倉荷証券を導入したことによって初めて銀行借入をするのを見届け、その意義を実感する機会に恵まれました。エチオピアの銀行に倉荷証券担保貸出を紹介したい-その一心で、それからエチオピア穀物取引所と民間銀行をシステムでつないで、電子倉荷証券を発行するプロジェクトを始めました。その後、上層部への説得、関連各部との調整、15カ国での市場調査等を経て、「国際倉荷証券プログラム」を立ち上げ、2010年、世界銀行理事会で承認を受けました。現在はスタッフも4名に増え、エチオピア、ギニアビサオ、ルワンダ、ウガンダ等で案件を進めています。

組織の柔軟性とイノベーション

IFCには組織に活力があります。自分のやりたいことを主張し、喧々諤々の議論を経て、その理論が通れば組織はサポートしてくれる体制にあると思います。新商品である倉荷証券のようなプロダクトは新商品評議会で認可を受けなければなりませんが、実に10以上の関連各部が計50回以上にわたるミーティングに参加し、熱心に検討を重ねてくれました。これは貴重な経験で、組織の柔軟性とイノベーションに対するスタッフの前向きな対応に感謝しました。

国際倉荷証券プログラムが軌道にのるためには2-3年かかると思いますが、その間いくら困難があったとしても解決策を見つけていけそうな気がしています。倉荷証券は17世紀に日本で生まれた商品です。日本発の商品がいつかアフリカの農民の生活水準向上に貢献できる日が来ることを信じています。「誇りとは苦しいときの心の支え」だと興銀時代に教わりましたが、日本人としての誇りをいつも大切にしていきたいと思っています。